MUSIC MAGAZINE (ミュージックマガジン) 2008年 08月号 [雑誌]
- 出版社/メーカー: ミュージックマガジン
- 発売日: 2008/07/19
- メディア: 雑誌
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特集といってもそれほど濃くはない。でもレココレでやるわけもなく、評論っぽい特集っていったらミュージックマガジンくらいしかないので、ありがたやありがたや。
しかしまあ、これ読んで思ったけど、真に国民的ロックバンドといったらサザン以外にいないといっていいね。サザンより売れてるバンドは他にもあるが、それらが国民的バンドなのかといえば、違うだろう。
ソロアーティストだって、山下達郎、吉田拓郎、小田和正、松任谷由実など大物はたくさんいるが、国民的人気かといえばそうは言えない。
しかもサザンはこれを30年続けているところに凄みがあるのだ。桑田佳祐のプレッシャーたるや想像もつかない。
ラーメンやカレーライスと同じように、特別好きではなくても、嫌いな人はほとんどいない。そういうバンドなのだ、サザンって。
歌謡曲、ロック、ジャズ、レゲエ、ファンク・・・あらゆるものを食い散らかしてきた桑田はミュージシャンであるとともに、音楽マニアであり、いちリスナーであるのだろう。
サザンは無期限活動休止になるが、ソロですぐに活動してくれると思う。音楽マニアがじっとしていられるわけないじゃん。
<7/25追記>
ところで、僕はサザンの大ファンなわけだが、正直言って、今後、サザンとしての活動は行わないんじゃないかと思っている。これは想像したくもない悲しい予想でもあるし、一種の諦めに似た感情でもある。
活動休止宣言が出たときはもちろん「本人が解散は絶対にしない」と言ってるんだから素直にそう受け止めるべきだと思った。マスコミは騒ぎすぎだと。
しかし後から冷静に考えてみると、なんだかサザンをやる必要性がない気がしてきた。
サザンとしての音楽性と桑田のソロの音楽性は、だいぶ前からほとんど差がなくなっている。当初は違いを出そうといろいろ工夫もしたようだが、あるときから桑田自身が雑誌で「1人の人間から出てきた音楽だから、無理に違いを出そうとしなくていい」みたいな開き直りとも思える発言を読んだことがある。
つまりサザンがなければソロでサザンみたいな曲をやればいいだけの話である。じっさい『波乗りジョニー』などまるっきりサザンみたいなソロの曲もある。
最近のソロになる直前のアルバム『キラー・ストリート』を作った時点で、サザンとしてのモチベーションがなくなった、という発言を桑田はしている。このアルバムやその後のシングル『DIRTY OLD MAN』を聴くと、やっぱりなんだか手詰まり感というか、桑田が窮屈に感じているような気がしてならない。
それに比べて、その後のソロ曲『明日晴れるかな』『風の詩を聴かせて』『ダーリン』は解放されてのびのびやっている感じがするのだ。
サザン以外のバンドメンバーとやるときなんかは本当に楽しそうだし。
だから、これから桑田が書く曲はサザンぽいものであろうがどんなものであろうが、ソロとしてやればまったく問題ないのである。サザンみたいな曲を今後新曲として書いたからといって「こんな曲やるんならサザン再開すればいいのにな」というファンは、純粋に音楽面から見た場合、ほとんどいないはずである。
感情的なことを言えばもちろんサザンメンバーで活動してほしい。でも他のバンドの方が(ソロの方が)のびのびできるのなら、そうした方が桑田もリスナーも幸せである。
そうなった場合唯一残念だと思うのは、ライブでサザンの曲をやることができない点だ。今まで桑田はこの境界線をきっちり守ってきた。サザンのライブではソロの曲はやらないし、ソロのライブではサザンの曲はやらない。これを崩さない限り、この先ずっとサザンの曲がライブで聴けなくなってしまう。
さてどうするのか。ライブをやるときだけサザンのメンバーが再集結するか。新曲を作らずにライブバンドとしてやりたいときにちょこっと集まってライブをやるのか。それも何だかなぁ。
このライブ問題だけどうにかしてくれたら、サザン再始動は悲しいけど諦めます。
「解散はしない」と言ったけど、死ぬまで活動休止してたら解散はしてないってことだもんな。